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<title>◈タイル百年</title>
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タイル百年紫月有人今年は「タイル」命名百年だという・・・。１９２２年（大正１１年）４月１２日「平和記念東京博覧会」において全国タイル業者大会が開かれそれまで統一された名称がなかった張付煉瓦、化粧煉瓦、敷瓦等は「タイル」という名称で行こう！という事になったそうです。東京駅の完成が1914年(大正4年）の事であるので、東京駅の象徴である、あの赤煉瓦色の小口タイルは「タイル」という名称で呼ばれず施工されていたわけですね。「タイル」命名百年の節目に、御縁あってタイル業界に携わっている皆様はじめ、建築業界、タイルを愛する全ての人達に「タイル」百年おめでとうございますとお伝えし、この喜びを分かち合いたい気持ちです。そして次なる百年に向けて私達は何をすべきか、製・販・工におけるそれぞれに課題は山積しているかと思います。「タイル」の焼き物としての普遍性は継承しながらも、人間の英知で築き上げた新しい建築資材との融合、そして現代における最大の問題である環境配慮については製造から販売、施工、そして廃棄・再生に至るまで、まだまだ取り組むべき課題が残されているかと思います。私を含め、現在ご存命の皆様方におかれましては健康を維持し、長寿を全うして頂きたいところですが、どのように考えてもお互いに「タイル」命名二百年を見届ける事は不可能かと思います。それだけに先人達が築き上げてくれた、百年目の節目の当事者として、次なる百年に向けての役割は重大です。施工に携わったタイル人達の名前が忘れ去られても「張り人知らず」として、そのタイルが未来に継承されて行くそれこそが私達の最終ゴールだと思います。次なる百年に向けて今日も御安全に、そして笑顔でタイルに向き合って行きましょう。文：紫月有人（しずきゆうと）◆四季の移ろいと共にタイルをこよなく愛するタイル人。
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<link>https://miyamototile.com/column/detail/20220710122308/</link>
<pubDate>Sun, 10 Jul 2022 12:23:00 +0900</pubDate>
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<title>◈最後の夏</title>
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今年も夏がやって来ました。子供の頃、夏という季節は理屈抜きに楽しかった。プール、夏祭り、花火、肝試し、水まき、部活帰りに頬張ったアイスキャンディーと友達の笑い声、クーラーも普及していなくて大抵の家は扇風機で厚さを凌いでいましたが、それでも、とにかく夏は何もかもが楽しかった。いつの頃からでしょうか、夏という季節はただ暑いだけの季節になりました。あの無邪気に楽しく、何かに打ち込んだ夏はいつが最後だったのでしょうか。高校球児だった人は、甲子園の夢が断たれた地方予選の最終戦が、最後の夏かも知れない。ゲームセットを告げるサイレンの音に何を思った事でしょう。海が大好きで毎日海に通っていた人は、土用波の青いしぶきを眺めていた遠い午後の日が最後の夏かも知れない。潮の香と波の音に何を思った事でしょう。誰しもが、心の奥底に最後の夏をそっとしまってこの季節を過ごしているのではないでしょうか。夏の建築現場は過酷を極めます。タイル人達も汗を拭いながら一枚一枚、魂を込めてタイルを張って行く事でしょう。ふと見上げる夏空に、最後の夏に見た風景がよぎるかも知れません。それは遠い手の届かない記憶でありほろ苦くもあり、時に楽しく、時に切なく、それでも最後の夏は、かつて何かに打ち込んで無邪気に楽しんだ誰にでもあった少年少女の時代を思い起こさせる事でしょう。そしてそれは今に繋がる尊い最後の夏でもあるのです。今日も万全の熱中症対策をしてこの夏を乗り切りましょう。熱い夏はまだまだ続きます。文：紫月有人四季の移ろいと共にタイルをこよなく愛するタイル人
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<link>https://miyamototile.com/column/detail/20210721183432/</link>
<pubDate>Wed, 21 Jul 2021 18:34:00 +0900</pubDate>
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<title>梅雨とワイパー</title>
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「梅雨が好き」こんな事を言うと、よく珍しがられますが、私はこの梅雨が大好きです。梅雨のマイナスイメージはジメジメ、どんより、長雨で活動しにくいと様々ですが、日本人にとって梅雨は農作物が育つ為の、ありがたい慈雨の季節でもあります。梅雨の時期ならではの風景全体を覆う静寂感、雨の日に存在感を放つ紫陽花も大好きです。長雨は建築現場の工期にも影響を与える側面もありますが、そこまでやって来ている真夏の前の、このひとときの静寂感を楽しみたいと思います。雨の日の車の運転にはワイパーの作動が欠かせません。ワイパーの発明は今から百年以上も前の事で、手動式から始まり、電動式へと進化したものの、昔の車のワイパーは「強」と「弱」くらいしか作動スピードを選べませんでした。その後、間欠ワイパーが登場し雨滴間知識ワイパーまで登場しました。他にワイパーブレードの改良等、自動車産業の雨天時の安全確保に対する姿勢には頭が下がる思いです。しかし、様々な進化を遂げているクルマのワイパーですが、フロントガラスに降り注ぎ視界を妨げる雨粒をブレードが往復して強制的に拭き去るという基本動作に変わりはありません。その昔は将来的にはワイパーは無くなり、強力なエアーを吹き付ける方式に変わると予測した人もいましたが、いずれにしてもクルマのワイパーに変わるシステムを開発したらノーベル賞ものとまで言われ続けています。クルマの動力源は内燃機関に代わり電動モーター駆動が主流になりつつあり、クルマそのもののシステムが根底から変化していく時代にあります。しかし、そんな進化の中でもクルマのワイパーの基本動作はどこか人間的な所作を思わせる今の方式をあえて残すべきではないかと思います。そこには自然現象に対する敬意と安全への願いを感じるからです。思えば、私達タイル業界も、長年に渡り地道な進化を材工共に続けています。湿式工法から乾式工法へ移行する中での弾性接着剤の開発と進化、それに伴うタイル技能工の技術の進化も両輪として欠かせませんでした。様々な進化の中でも、不変的な事は、タイル技能工の手によりタイルが張られているという事、ワイパーの動きの如く、生き物である建築現場への敬意と安全への願いです。雨の中、クルマのワイパーの動きを見て、ふとそんな事を考えて運転しているとワイパーの動きすら愛おしく感じます。今日も御安全、御安全で。文：紫月有人◆四季の移ろいと共にタイルをこよなく愛するタイル人
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<link>https://miyamototile.com/column/detail/20210614191651/</link>
<pubDate>Mon, 14 Jun 2021 19:16:00 +0900</pubDate>
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<title>コラムページ新設しました</title>
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四季の移ろいと共にタイルをこよなく愛するタイル人葉桜に寄せて春は短いもの・・・それは人間のDNAに組み込まれているかの様な感情ですね。特に日本人が愛してやまない「桜」は春の短さを象徴しています。ふと気が付くと刹那に咲いて、やがて散り行く潔さには憧れの念さえ覚えます。桜の散り際の頃になると「今年は桜は葉桜になってしまったね・・・」という人がいれば「桜はやっぱり葉桜の頃が良いのよ・・・」という人もいます。淡い「桜色」と若さの象徴の様な「緑」が織りなす春の終わりの葉桜の風景には様々な想いが行き交います。葉桜には、その短い満開の時との清々しい決別を経て、また次代に希望を託す人間の摂理の様なものを感じます。葉桜の頃を過ぎてしまえば、すぐに初夏となり、そこに桜が咲いていた事さえ忘れ去られて季節は過ぎて行きます。昭和の時代には「桜」を愛でた名曲が数多く存在しますが、葉桜の頃を経て、やがて忘れ去られた桜を歌った名曲も存在します。ー花びらが散ったあとの桜がとても冷たくされるように、誰にでも心の片隅に見せたくはないものがあるよねー「ささやかなこの人生」(風)ー薄日の射す枯木立が桜並木であるのを誰もが忘れていても何も云わずやがて花は咲き誇りかなわぬ想いを散らし季節はゆくー「経る時」（松任谷由実）「あの頃が花だったな・・・」歳を重ねると、時にこんな言葉を口にする人がいます。また幸せな時を過ごすと、この幸せがいつまで続くか不安になる人もいます。過去の人生は時に眩しく美しく、幸せな時間に感じる不安は、なす術もなく過ぎ行く時間の中での人間の無力さに対する喪失感からではないでしょうか・・・人の人生も桜の如く、いつの時代にも満開の時はやって来る。そして葉桜を経て粛々と過ごす忘れ去られた季節はまた満開の時期を迎える為の希望の時間と思いたい。人は生ある限り、いつだって咲けるのだと・・・。タイル業界も満開を謳歌しているとは言えない時期を迎えています。人材不足と高齢化は製・販・工に渡って深刻な問題です。今は粛々と希望をもって努力を怠らず過ごす時期ではないでしょうか。タイルに携わる私達もいつだって咲けるのだと。文：紫月有人（しずきゆうと）四季の移ろいと共にタイルをこよなく愛するタイル人
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<link>https://miyamototile.com/column/detail/20210527083109/</link>
<pubDate>Thu, 27 May 2021 08:31:00 +0900</pubDate>
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